2025年06月16日
gooブログの引っ越しデータのダウンロードが無事にできたのでサルベージシリーズ。
今回は須賀敦子のエッセイの紹介記事。
須賀敦子のことは福岡伸一の「世界は分けてもわからない」でものすごい文章を書く人がいる、みたいな紹介をされていて知ったのだった。そこからイタリア文学のタブッキにつながって、ポルトガルのペソアにつながって・・・というような読書遍歴があった。タブッキは自分がいちばん好きな作家のひとり。こういうつながりで読む本を広げていくという営みがおもしろい。捉えようによっては無限の可能性があるというか・・・。
話は戻って今回サルベージするブログ。これを書いたのは2012年のことなので、まだ学生の頃か・・・リンドバーグの言葉を引用して、「さようなら」という言葉への言及に感動をしたことを覚えている。
須賀敦子はこの本が出版された1998年に他界をした。晩年に書かれた本だ。
それでは。
須賀敦子(1998)「遠い朝の本たち」筑摩書房.215p.
晩成の作家である須賀敦子が、幼年時代から大学院生くらいまでの期間での、自身に影響を与えた読書体験について書いたエッセイ。彼女の人生が本と切り離しては考えられないものであったことがよく分かる。
須賀敦子がおもに自身のことについて書いた話を読むのは、はじめてだった。自分は、今まで触れてきたものの中で、彼女の書く文章がいちばん好きなのかもしれない。漠然としてしか抱いていなかったその理由が次の文を読んだときにすこしだけ理解できたような気がした。
アン・リンドバーグのエッセイに自分があれほど惹かれたのは、もしかすると彼女が文章そのもの、あるいはその中で表現しようとしていた思考それ自体が、自分にとっておどろくほど均質と思えたからではないか。やがて自分がものを書くときは、こんなふうにまやかしのない言葉の束を通して自分の周囲を表現できるようになるといい、そういったつよいあこがれのようなものが、あのとき私の中で生まれたような気もする。
ただ言葉でそういっているだけではなく、須賀敦子はこの考えをよく実践して、文章を書いていると、読者である自分からしても強くかんじる。自分の人生であったり、周囲との関係を、とても自分が思ったとおりに率直に、そして正確に書きだしているように思う。自分を必要以上によくみせようとしたり、逆に、自分を卑下をするようなことは、文章からはほとんど感じられない。そういう文章を書くには、テクニックと、文章が生み出される源となる人格のどちらもが成熟していることが必要だと思う。
読んでいて、感動だったり悲しいといった、いっときの激しい感情にゆりうごかされることはあまりない。率直にいって、退屈な話が多い。ただ、注意ぶかく読んでいると、打ちのめされるように背筋がぞっとする文章に出会うことがある。ひょんなことから、とてもすばらしい詩をみつけてしまったときのように。
最後に、同書で引用されている、アン・リンドバーグが日本について書いた文章がいいと思った。
さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再開を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ
このことは知らなかった。確かに、さようならという言葉には悲しいイメージを持っていて、日常的な場面ではあまり使うことがない。原意は知らなくても、そういう文脈で用いられる言葉であることは、ひっそりと心情に根付いていたのかもしれない。すこし興味深い。
須賀はアン・リンドバーグの、外国から日本語を見つめた文章に深く感銘を受けて、それまで自分をとじこめていた「日本語だけ」の世界から解き放たれたとしている。
のちにイタリア文学の翻訳や、日本文学を外国語に翻訳する仕事を行う須賀敦子のルーツの一つとしてこのような体験があったことを知った。