2025年02月26日
今日はまったくもって「港区」はおそろしい場所だと思ってしまった。
午前中に通っているリハビリを終えて、会社に向かうと、ちょうど昼時に大門・浜松町のあたりに差し掛かる。
自分は中央区にある会社に勤めているが、大門にあるとんかつ檍グループが運営するカツカレー屋・いっぺこっぺが好きで、今日も昼飯はカツカレーを食べていた。いつも通り、とんかつにステータスを全振りしたカツカレーを平らげ、満足した気持ちで駅に向かっていた時のことである。
「おい、路上喫煙は禁止だぞ!」
でかい声で注意をしているおっちゃんがいた。
防犯ベストみたいなものを着用して、帽子もかぶっている。区のパトロール隊の人だろうか。
声が向けられた方に目を追ってみると、20~30代くらいのサラリーマン風の男が電子タバコを吸いながら歩いていたのだった。
まぁ俺もちょっと前まではけっこうヘビーな感じで煙草を吸っていたので、路上で喫煙をしたい気持ちも分からないでもない。大門浜松町駅前にも小さな喫煙所はあるが、コロナの影響もあり入場制限が敷かれ、煙草を吸うために並ぶ必要まで生まれてしまっている。
そういう背景があるから、電子タバコだから良いじゃないか、という気持ちが生まれてしまうのも理解できる。だが、ルールとして禁止されている以上、大っぴらな目立つ場所で吸うのはやはり褒められた行為ではないというのは確かではある。
しかし、サラリーマン風の男はなかなか吸うのをやめようとせずに、おっちゃんも何度も「路上喫煙は禁止だ!」とでかい声で注意を繰り返した。
なんとなく成り行きが気になると思って見ていると、おっちゃんの注意の仕方が変わったんである。
「おい、お前は港区に入るな!」
次のフェーズに入ったんだな、という気がした。しかし、急に路上喫煙注意の文脈から「港区」という単語が出てきていろいろと考えてしまった。
まぁ確かに「港区」は東京タワーもあれば、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンなども擁していて、そこに属しているということが一つの社会的ステータスになっている。いわゆるブランドタウンである。みなとタバコルールという条例もきっちりと明文化されていて、路上喫煙という行為はおよそ「港区」なるものから排除したい行為であるのも分かってはいるものの、「港区」と限定されてしまうと、じゃあたとえば俺が働いている「中央区」だったらどうなのか、とか、ここがもし「板橋区」だったら路上喫煙してもこのおっちゃんは怒らないのだろうか、などと余計なことを考えてしまった。
(ちなみにどちらの区も路上喫煙禁止に関する条例はあるようだ)
後半の「入るな」というのも少し考えさせられる言葉で、いま自分が立っている場所は、大門駅周辺なので、「入るな」もなにも煙草を吸っている男も既に「港区」に入っているのである。
なんとなく「入るな」というセリフから「渋谷区」と「港区」の境目のあたりを考えてしまう。「渋谷区」にいる若者たちがタバコをくわえながら「港区」に向かって雄たけびをあげながら突進してきて、それに対しておっちゃんが「こ、こらーッ!おまえたち!港区に入るんじゃない!」みたいに叫びながら制止するやり取りを想像してしまうのである。しかし、世界は平和そうにみえるものの、今もこうしている間に周辺の「渋谷区」や「目黒区」から煙草をくわえながら「港区」に突撃せんとするなんとか族みたいな連中が跋扈しており、防犯ベストを着たおっちゃんが制止することで「港区」の平和が保たれているのかもしれない。そのため、普段は区の境目を警備しているが、たまたま配置が違って、いつもの癖で「入るな!」と言ってしまった可能性もゼロではないである。
しかし、恐ろしいのは「港区」の禁止する行為がやがて拡大されていってしまうことだ。
たとえば俺は風呂には毎日入ってはいるが石鹸で身体を洗わない日も多い。特にそのことは周りにバレていないと感じているが、それは「港区」なるものから遠い行為である気もする。
石鹸を作ってる会社と「港区」の癒着があり、港区に入るときには石鹸で身体を洗うことが必須とする「港区パーフェクトクリーン条例」が発足、区民税から開発費を注ぎ込みAIを駆使した石鹸で身体を洗ってない人間を99.9999%の制度で見分けられる装置「みなとクリーンセンサー」が普及していた。その近未来的なゴーグルを装備したパトロールのおっちゃんに俺はあっけなく見つかってしまうのだった。
「こ、こらーそこのお前、『港区』に入る前には石鹸で身体を洗えぃッ!!」
でかい声でこのようなことを公衆の面前で怒鳴られ、石鹸で身体を洗ってないことが世に知れ渡ってしまうのである。
午後は「中央区」の会社で一応は働いていたものの、こんなことばかり考えていたので、仕事になるわけがなかったのだった。
全く持って「港区」は恐ろしい場所だ。