QLITRE DIALY

ゴーグル、それをしろ

2022年06月04日

今日は家の近くにNECが運営しているプール施設があって、泳ぎに行ってきた。

このところ運動というものをほとんどしていなくて、身体を動かしたいという気持ちがあった。

着いた場所はいわゆるスイミングスクール。

そういえば自分も小学生の時にスイミングスクールに通っていたのだった。水泳にはあまり熱心ではなく、バタフライができずに挫折をしたのだけど。

あれから20年くらいの歳月が経ったわけだけど、スイミングスクールという場所はあまり時代によって移り変わったりしないのかな、という印象を持った。更衣室があって、シャワーがあって、プールがある。ほとんどそれだけだ。あと、コーチの人の何を言っているのか分からない、でかい声が室内に響くあの感じ。

自分はスクールレーンの端の一般開放レーンでゆっくりと泳いでいた。

風景には懐かしさを覚えたのだけど、泳ぐという行為については昔と違った感覚があったと思う。

うまくいえないけど、自分の内側に集中できる、という感覚だろうか。

誰かと喋ったり、スマートフォンをいじったり、今もパソコンのキーを叩いてブログを書いているが、それは外側とつながるための行為だ。

勿論、それはそれで楽しい部分もあるのだけど、なんか疲れる、というのは確かにあると思う。

他にも金がどうこうとか、人間関係がどうこうとか、仕事がめんどくせえな、とか、いわゆる自分の外側の部分を考えることはかなりのエネルギーがいる。

泳いでいると、こういうことが頭の中から自然と消えていくのを感じることができて心地が良い。

水の抵抗に包まれているため、身体、というものを強く感じざるを得ないためだろうか。自分の領域をはっきりと意識することができる。そうすると、自然と思考が自分の内側に向かっていく。

泳いでいる時にずっとこんなことを考えていた。もう少しこのことについて考えたいと思ったが、何分久しぶりだったので、150メートルくらい泳いだところで、左腕に痛みが走り、続行ができなくなってしまった。

そうなると、準備運動はやっぱり大事なんだな、とかそういう当たり障りのないことしか考えられなくなってしまう。

次はもう少し長く泳げるようにしたい。

定期的に通おうと思う。