QLITRE DIALY

SF小説を読む 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

2022年08月03日

さいきんはSF小説を読むのにはまっていて、前回の「スノウ・クラッシュ」に引き続き、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読んだ。

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は「火星の人」などを書いたアンディ・ウィアーの第三長編。日本では2021年の5月に出版がされた。

上・下巻の構成になっていて、ページ数は合わせて600ページ強というボリューム。

先に感想から言って、久しぶりのいわゆるジェットコースター小説、ページを繰る手が止まらない、といった類の小説だ。

ページを読み進めるたびに「この面白い話が残り少なくなってしまった」と、一方で寂しい気もするような、あるあるの気持ちになること間違いなし、そう胸を張って言える小説だ

あらすじ

主人公のグレースが真っ白い奇妙な部屋で目を覚ますところから物語が始まる。

長い間、運動をしていなかったようで、身体が思うように動かせない。謎のロボットアームが自分の看護をしていたようだ。

記憶が失われていて、自分が誰で、どこにいるのか、なぜここにいるのかも思い出せない。

科学的な実験と観測を通して、どうやらここが地球ではないらしいことに気づく。

グレースの記憶は、断片的によみがえってくる。

地球は「ペトロヴァ問題」と呼ばれる災禍によって、太陽エネルギーが指数関数的に減少、人類は滅亡の危機にさらされているのだった。危機に瀕した人類は最後の希望となる宇宙船ヘイル・メアリー号を宇宙に向けて放っていた。

グレースはそのクルーが、まさに自分だということを思い出したのだった…

数学は宇宙の言葉

小説を読みながら、その昔、中学生のころに通っていた学習塾の英語教師のことを思い出していた。

その英語教師はちょっとした名物教師で生徒の心を掴むのがうまかった、自分もその教師の授業を受けるのが好きで、未だに話を忘れていなかったのかもしれない。

その昔、俺が担当をしていた生徒で天才だった奴が一人いた。

秀才な奴はたくさん教えてきたが、そいつは紛れもない天才で、小学校4年生かそのくらいの年齢で、英検1級を取得したんだ。別に帰国子女ではない。

親が物理学の大学教授をしていたことは知っていて、ある日、俺は聞いてみた、「君は親からはどんな教育を受けているのかな?」

その生徒はこう答えた。

「はい、国語は日本の言葉、英語は世界の言葉、数学は宇宙の言葉だと言われております」

その話がどんな文脈で出てきたのかは覚えていない。恐らく「お前らは馬鹿だから勉強しろ」とかそういう感じだったんじゃないかと思う。本当にそんな奴が存在していたのか、架空の話なのかは分からないが、妙に記憶に残っている。

この「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は「数学は宇宙の言葉」というパワー・ワードを意識させられる小説だ。

主人公のグレースは記憶は失っていたものの、科学的な知識、手続き的思考にたけていて、物理学を駆使して、現在の状況を解明していく。物理学というと難解な印象を抱くかもしれないが、文中の説明が平易で文系の自分でも理解できるように書かれていると感じる。

例えば、グレースは物語の序盤で「自分がどうやら地球にいるのではない」ということに気づく。

それは重力を計測した結果が、地球の重力と異なっていたからだ。(地球上でも重力が異なるケースがあるので、正確には「推測」をした)

では、重力はどのように計測すればいいのか?特別な機械は必要ない、グレースは簡単な振り子を使った理科の実験を行い、今いる場所の重力を算出する。

その辺りの手続きが非常に詳細に、それでいて教えるように書かれていて、いわゆる「置いていかれる」ような場面がない。

一緒に謎を解き明かしているみたいで面白いし、何より「物理を使うとこういうことまで分かるのか!」という驚きが止まらない。「数学は宇宙の言葉」という言葉を思い出したのはそのせいだ。

文体と内容の絶妙なバランス

人類の危機を救うために宇宙船を飛ばす、話の概要だけ見ると、かなり危機的で固い印象を受けるのだけど、登場人物の会話や設定はシャレに富んでいて、軽く読める、という絶妙さがある。

ちなみに「ヘイル・メアリー」は、アメリカンフットボールの試合終盤に、劣勢のチームが一発逆転を狙って投げるまさに「神頼み」のロングパスのことを指して言うらしい。人類の希望を託した宇宙船にこんな名前をつけちゃうところに作者の遊び心を感じる。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴと名付けられた機器が宇宙船に設置されていたり、ポップカルチャー的ギミックが散りばめられているのも絶妙。

個人的に思ったのは、ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』のポップさに、ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』のようなハードSFを融合させた感じということだろうか。科学的な知見に基づいた設定と、物理学の理論を用いて謎を解明していく過程はまさしくハードなSFと言っていい。

一方でところどころで科学ギャグっぽい描写もある。

ここに下りてきてからずっと、痛みで辟易している。腕が痛みっぱなしだ。刺すような痛みがずっとつづいている。鎮痛剤を飲んでまだ一時間もたっていないのに、もう効かなくなっている。

「コンピュータ! 鎮痛剤!」

「つぎに服用できるのは三時間四分後です」

思わず顔をしかめる。「コンピュータ、いま何時だ?」

「モスクワ標準時で午後七時一五分です」

「コンピュータ、時刻をモスクワ標準時で午後一一時にセット」

「時計セット完了」

「コンピュータ、鎮痛剤」

アームが錠剤のパッケージと水のバッグを渡してくれる。すぐさまゴクリと飲む。なんてまぬけなシステムだ。世界の命運を託された宇宙飛行士が、鎮痛剤の服用量を調整できないと思っているのか? まぬけめ。

とまぁ、確かにまぬけなシステムだな、とは思う。

だが、システムには自由度だったり穴が必要なのも事実だ。

これが仮にまぬけじゃないシステムだったら、主人公は痛みで任務が遂行できなかったかもしれない。

恐らくそういう状況を想定した上で設計がされたんだろう。

おわりに

実際にプロジェクト全般の「設計思想」について言及されている描写は随所にある。

失敗をした時のことを考えて、でも失敗は許されないプロジェクトだから、冗長性をどう担保するか、ということなど。

自分はそういう読み方をしなかったので何とも言えないが、プロジェクト管理という視点から読んでも新しい発見があるかもしれない。