2022年09月29日
最寄り駅から会社に向かう道、運河をつなぐ橋の上を歩いていたとき、唐突にその言葉が後ろから聴こえてきたのだった。
「寂しくなくなるって…すごいね…」
それは秋の訪れを予感させる気持ちの良い朝。
言葉は澄んだ空気の中にただよっていた。振り返ると、女性が一人で歩いていた。
この女性はある寂しさから脱却して「すごい」と思ったのだろうか、どんなことがあったのだろうか。それがとても気になったが、ついに語られることはなかった。
会社に向かいながら、そういえば「寂しい」についてしばらく触れてなかったな、ということを考える。
幸か不幸か会社に週5日、通っているためだろうか。
出社すれば誰かしら人がいるので、寂しさから連想されるような孤独については感じなくて済む。マイナス面もあって、人間関係などで必要のないストレスが発生したりもする。
それは、消耗している、ということになるのだが、この消耗している、という感覚は寂しさとは対極的なものだ。
ストレスという刺激が強いので、寂しさが入り込む余地がない、ともいえるのかもしれない。
それもそれでどうなのか、というようなことを思う。
少なくとも消耗しているよりは寂しさを感じている方がマシかもしれない。