QLITRE DIALY

松葉杖と優先席とジレンマ

2024年12月27日

今年の10/20に自転車でアルティメット横転をして以来、まだ松葉杖生活をしている。

基本的には家に引きこもって仕事をしているのだけど、ここ数日実家方面に電車で向かう用事が続いていて、頻繁に電車に乗っている。怪我していて乗るのが大変だなぁというのは勿論ある。ただ、それ以上に周囲の空気が気になって電車に乗るのが嫌だなぁと思う機会が多いので、そのことを記録しておきたい。

松葉杖をついて電車に乗りこむと、けが人が乗ってきたぞ、という雰囲気を周囲から感じる。いつも大体優先席付近に行くようにしていて、たいていは心ある方が譲ってくれていた。

だが、毎回譲ってもらえるわけではなくて、明らかに健康そうに見える人が鎮座していて譲ってもらえないこともあるのだった。データを取っているわけではないが、2割弱くらいそういうことがあった。

いちおう断っておくが譲ってもらえるのが当たり前だとは考えていない。健康な人が優先席に座っていたと仮定して、それでも席を譲ることは当然義務ではないので、別に腹を立てているわけではなく、そのことを評価したいのではない。そうではなくて、こういう時にかなり微妙な空気、微妙な考えが自分の中に浮かぶことは記録しておきたいということだ。

自分も別に立ってることはできるので、まぁ座らなくても、やり過ごせるかな、という状態ではある。ただ、優先席付近に来ている手前、どうしても周囲の人々は「席を譲ってもらいたいのに譲ってもらえない人がいる」というように考えているだろう。そのような憐憫の混ざったまなざしを実際に感じている。その場にいるのがつらいと感じる。

それならいっそ声をかければいいのではという意見もあるかもしれない。だが、一見して健康そうだが、目に見えない疾患を抱えている可能性もあるため、声をかけることにリスクもある。そもそも、6人程度座っている優先席スペースで誰に声をかけるかというのは難しい問題である。

というわけで誰からも譲ってもらえない場合は、なんとなくその場にいづらい感じになるものの、電車が走っているときに松葉杖で移動するのも難しいので、なんとなくその場の空気を紛らわすために、周囲が気にならないように音楽を聴くことでやり過ごしている。結構この音楽のチョイスも難しい。これまで書いてきたような微妙な考えが頭の中を渦巻いているので、なんかRadioheadみたいな、これまた微妙な気持ちを誘うような音楽を聴くのは違うなぁという気がする。初期のゆらゆら帝国とかブランキ―ジェットシティなどの、じゃかじゃかしたギターロックを聴くことが多い。それはそれで音漏れとかも気になるのでどうかとも思うが。

色々と考えて自分なりのソリューションが出てきた。結局のところ松葉杖をついているときは優先席ではなく、一般席付近に立っていた方がいい。

優先席に座っている人は基本的に何らかの座らざるを得ない事情を抱えている可能性を排除できない。一方で一般席に座っている人は中には疾患を抱えている人もいるかもしれないが、基本的に健康な人が多いはずである。

そして、優先席に座っていて席を譲ってくれるマインドの人は、優先席に座っているときにしか譲らない、なんていうことはなさそうで、座っている席種に関わらず譲ってくれるのでは、というのが最近感じていることだ。

この方法の良いところは仮に譲ってもらえなくてもあまり微妙な感じにはならないことだ。

松葉杖をついているけど、治りかけなんで座らなくても別に大丈夫さーん、というような雰囲気を出せるからである。

しかし松葉杖をついていなければこんなに人からどう思われているかということも気にしなかっただろう。

自意識に向き合うのはいつだって厄介で、早く治したいと思うのだった。