QLITRE DIALY

今年の目標とその罠についての話

2023年01月03日

新年の風物詩のひとつとして「今年の目標」について発表するというものがある。

家庭内や職場、TwitterやFacebookなどでも、今年の目標について言及をしている例をよく見かける。

自分については、趣味で競プロをやっていて、緑コーダーになる、という目標がとりあえず思いついた。

ふと思う。

一年というスパンのみで目標を考えてしまうと、達成するのが難しいのではないだろうか。

今年の目標の罠

例えば1月から2月は何もしない可能性が高いだろう。

確かに1月は勢いあまって目標を口にしてしまったが、心配はしなくていい。なぜなら今年はまだ4分の1も過ぎていない。

目標を達成できる時間は十分にある。

3月になると花粉症が気になってくる時期だ。自分の場合は、鼻水は出るし、粘膜が損傷し、毎朝のように鼻血が出る。

そんな時に目標のことを考えて努力する余裕はあまりなさそうだ。それに、3月が終わった時点でもまだ1/4しか今年は過ぎていないのだ。

4月から5月は期変わりとGWを挟むことがあって、何かと忙しい時期だ。それに5月病という言葉に引きずられる。

なんとなく、今は動かなくても良いんじゃないかという気持ちになる。

6月から7月は梅雨だ。

半月くらい連続で雨が降ることもある。これはもう何もやる気が起きない。

このあたりでだいたい半分が過ぎているので焦ってもいいころだ。

しかし、「まだ今年は半分も残っている」と肯定的な解釈をすることも充分可能な時期でもある。まだやらなくてもなんとかなりそうだ。

8月から9月は完全に一年を折り返しているのが気になるところだ。しかし、猛暑は毎年ひどくなる一方で、今年の目標よりも地球温暖化などの環境問題に意識がいってしまう危険もある。

さて、10月くらいになって今年の目標を達成できていないことに気づく。

10月は過ごしやすい季節なので、目標に向けて頑張るにはもってこいの時期だ。

しかし、このあたりで開き直ってしまうのではないだろうか。

「誰も俺の立てた目標のことなんか覚えていないさ、もう頑張らなくてもいいんじゃないだろうか」。

というよりも、そもそも自分だって覚えているかどうか怪しいものだ。

仮に身近な誰かが「そういえばあの目標ってどうなったの?1月の初めに言ってたやつさ」なんて言われても、こういえばいい。

「確かにその時はそう思っていたけどさ、今は別にそういうことは考えてないっていうかさ」

聞いてきた誰かもそこから追求はしてこない。

その言葉に反論の余地はなく、「そうだよな、今年が始まって9か月も経ったんだよな、普通だったら考えも変わるよな」ということを思う。

11月、12月になるとまだ今年は終わっていないにも関わらず、来年に向けて意識が向いてしまう。

今年の目標のことは完全に忘れ去り、「来年こそは頑張ろう」という意識が頭の中を支配するようになる。

ざっと想像をしてみただけで、このような行動や思考の罠が思いつく。

慢心や花粉症や五月病に梅雨に猛暑、環境問題、それに開き直りと、様々な障害が自分を待っている。

これでは目標の達成が難しい。

あるべき目標の持ち方

さて、ここで目標という言葉の意味を調べてみる。

そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの。

目標を持つことは大事だ。なぜなら向かう場所の目印がなければ、恐らくどこにもたどり着けないからだ。

問題なのは前述のとおり、目標に向かう道に罠が点在していることだ。

たとえば北にある島に向かって航海をはじめた場面を想像してみる。

当初は北に向かって船を進めていたが、2月の慢心という風が吹いて、北東の方向に船が向けられてしまう。

3月の花粉症という風は、あろうことか南の方に押し戻してしまうかもしれない。

5月病6月の梅雨8月の環境問題とまだまだ強烈な風が吹く。

何も手を打たないと、どこに向かえばいいのか分からなくなってしまう。

おそらく目標は細かく持つことが大事なんじゃないかと思う。

つまり、1年の目標をたてたら、1月に何をやるかをセットで考えるべきだ。

2月になにをやるかは2月に考えればいい。

もしかしたら2月の頭では少し北東の方に向いてしまっているかもしれない。

だから、1年の目標に向けて軌道修正をする形で新たなやるべきことを設定をする。

こうすることでゴールにたどり着ける確率があがるのではないかと思う。

おわりに

とりあえず1月は競技プログラミングの鉄則を読み終えることをやることにしてみる。

読み終えたら感想を書きたいと思う。ではでは。